内藤礼と茂木健一郎の対談

内藤礼と茂木健一郎の対談を東京都現代美術館で聞いてきました。パラレルワールドという企画展で、内藤さんが出品されているので、それに合わせての対談です。

内藤さんの作品は、直島の「このことを」を一度見ました。15分間一人で、かなり暗い空間のインスタレーションを体験するものです。最初は気づかなかったものが、しばらくするといろいろ分かってくる。いろんな小さなものが、ある意図をもって、置かれていることに気付いてくる。それが、どんな意図なのかはわからないけど、無数の意図を持ったものに自分が囲まれているのだと思ったとき、何やら恐ろしく感じました。ある空間の質が誰かの意図で作り込まれているのだけど、その意図が分からない。その空間は人が作った空間でないような気がしました。ブレアウィッチプロジェクトという映画の中で、森に迷い込んだメンバーがいつのまにか、枯れ木で作られた、呪術的な造形のオブジェクトに囲い込まれているというシーンがあるのですが、そんな感じを受けたものでした。

内藤さんの話は、必ずしも論理的に伝えられるものではなかったので、はっきりとまとめるのは難しい内容でした。でもよくわからないけど明らかな強い意思を感じたという点では、直島で受けた印象と通じる物がありました。

その中で、気になったのは、「他者」や「死者」等のフレーズ。「私」という視点から抜け出すためのデバイスとして、出てきたようです。内藤さんは、仕事場のベランダから自分のデスクをふと見返したとき、生まれてから今迄の自分という総体を包括的に感じ取ったことがあるそうです。
「私」というものから抜け出そうとされているので、意図が分からないけど、強い質を持った空間が生まれてきているのではないかと思いました。

空間として、内藤さんの作品は、時間をかけて感じ取る物です。だから直島でも15分間一人で、作品と対峙するという展示方法がとられました。それに絡めて話に出た「一瞬で分かる空間のつまらなさ」ということについてはもう少し深く掘り下げて、自分自身考えなければならない課題だと思いました。

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