似たような話

全ての小説は「人が歩いてきて穴に落ちる。落ちて死ぬ」か「穴から這い上がる」のどちらかの話である、という説があるようです。(本の引用文からのネタです。※)そこまで要約するのもどうかなとは思いますが、無数にある物語も、そしてそれが長編小説であれ短編小説であれ、突き詰めて考えていけば、「似たような話」に集約されていくのでしょう。かといって、そうであるから小説がつまらないものであるということではなく、むしろ「似たような話」という骨格を持ちながら、多様な面白い物語が紡ぎ出されるのだということに、可能性を感じます。

話の飛躍が許されるのならば、大住宅であっても小住宅であっても、前述のように煎じ詰めれば、身も蓋もない「似たような話」に集約されることかと考えます。(冒頭の例えのようにウィットに富んだ言い回しはすぐには思いつきませんが。)小さな敷地の住宅の場合、それほど煎じ詰めなくても一つのカテゴリーの「似たような話」にまとめられてしまいます。言い方をかえれば、「敷地が小さいので間取りは自ずと似てくる」ということです。われわれ建築家は、できれば、そんなに簡単に「似たような話」にされたくはないのですが。

そんなことを思ったのは、3人の建築家が競う住宅コンペに参加したことがきっかけです。敷地が小さなこの住宅における3者の提案は、いわゆる「間取り」というレベルで語ると、「3階に個室が二つあり、2階にはリビング、1階には和室」という共通の話にくくられてしまうものでした。それでは、3者の提案が同じように見えたかというと、既にお察しとは思いますが、三者三様のそれぞれの力量が現れた提案となっていました。つまり「「似たような話」であるから、力の差や個性の差がはっきりあらわれる」ということです。

短い物語を語るとき、一つ一つの文章の切れ味が、全体に与える影響は大きいことと思います。その究極が、短歌や俳句の世界なのでしょう。小さな住宅では、階段の位置等の些細なプランニングや、窓の位置、様々な素材や色等、細かいことのひとつひとつが、空間を良くしたり、ダメにしたりします。どうやったらいいかの、一般的な方法論はないと思うのですが、優れた建築家はそんなところのツメも誤らない。だから、同じ間取りに見えてもガラッと変わった空間を作ることができます。世の風潮として、狭小住宅の設計に建築家が関わることが多くなっているのは、そんなことも一因ではないかと思っています。冒頭と同じ話を繰り返すことになりますが、「似たような話」を骨格にしながら、多様な面白い物語を作り出すことができる建築家が、より狭小住宅では求められているのだと、僕は考えます。